日本史探究・歴史の楽しみ方ー新府城

戦国時代の悲劇のヒーロをあげるなら、武田勝頼ですね。勝頼は武田信玄と諏訪に姫との間に生まれました。諏訪というと諏訪大社が有名ですが、諏訪の神官は鎌倉時代には、得宗に御内人として仕えました。また、諏訪大社は神官を中心に地域をまとめていました。中でも有名な神官は、北条時行を保護して育てた諏訪頼重ですね。諏訪大社(本宮)に供養塔があります。武田信玄と諏訪の姫との間に生まれた勝頼は、高遠城主となった。高遠は桜で有名ですが、その地でたくさんの武士が死んでいると思うと、高遠の桜は単に美しいだけでなく、淡く切なく意味も深く感じられます。

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新府城本丸に向かう長い階段

新府城の本丸に向かうには、249段ある長い階段を登らなければなりません。一段一段の幅が狭く、苦労しますが、歴史を感じるにはちょうど良い階段でした。回り道として乙女坂からのルートもありますので、厳しいと思われる方は、この道を利用すると良いと思います。

七里岩

駿府城があるのは、七里岩の上です。韮崎から左手に釜無川を見ながらドライブをしていると右手に断崖が見えてきます。この地形は、約20万年前に八ヶ岳が崩壊した時にできたものです。今では、南北約25キロ、東西約18キロにも及ぶ台地となっていて、高さは40メートルから150メートルにも及びます。
中央本線は韮崎から長野方面に向かう時に、この台地を上っていきます。かなりの急勾配でかつてはスイッチバック式で上がっていたようです。現在は、韮崎駅から穴山駅(穴山梅雪の領地だった)まで、8kmで160mを上っていきます。「あずさ」に乗って中央線で韮崎駅、新府駅、穴山駅を通過する際に、この地形を思い浮かべると旅もさらに興味深いものになります。

韮崎駅から穴山駅までの急勾配(google map)
七里が岩の断崖
この上を中央本線が通っている。
新府城もこの上にある。

新府城の本丸跡

新府城の本丸は残っていませんし、当時の建物は残っていません。勝頼が織田に攻められた時に自ら火をかけたとされています。この後、小山田信茂を頼って岩殿城に向かったとされる。その後、突如として小山田信茂は、勝頼を裏切り、勝頼は、天目山で織田家臣の滝川一益によって滅ぼされた。

新府城本丸跡

武田勝頼公霊社

新府城からの八ヶ岳眺望

新府城本丸周辺

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