日本史探究・定期試験・大学受験に役立つ鎌倉歴史散歩(6)蒙古襲来と幕府の衰退-鎌倉時代

元の攻撃を防ぐために築かれた元寇防塁(福岡市西区生の松原)
モンゴル帝国は、アジアから〜東ヨーロッパまで支配しました。その後、分裂して中国地域を支配したのが元です。元は、東アジアを支配しようと考え、日本に国書を送って元の支配に下るように要求してきました。しかし、当時の執権である北条時宗はこれを拒否し、元の使者を処刑しました。鎌倉幕府のやり方に激怒したフビライは、1274年に文永の役、1281年に弘安の役と2度み渡り日本に攻めてきましたが、御家人の働き、土塁などの防御、暴風雨などの影響で撤退していきました。3度目も計画されましたが、中国民衆の反乱やベトナムの抵抗などで日本への攻撃を断念しました。こうして元の襲来は失敗に終わったのです。

 蒙古来襲と幕府の衰退

※(a   )〜は、定期試験・大学入試に必要な基本歴史用語です。

⑴ モンゴル帝国と元
チンギス=ハン(成吉思汗)・13世紀初め、モンゴル帝国を建設(13世紀後半に元及び3ハン国に分立)

フビライ=ハン(忽必烈汗)
1258年:高麗を征服(三別抄(さんべつしょう)の抵抗を1273年に鎮圧)
1268年:日本に朝貢要求
1271年:国号を元に改称、都は大都(北京)

⑵ 蒙古襲来(元寇)


北条時宗(8代将軍)
元の朝貢要求を無視
異国警固番役の設置(1271):九州に所領を持つ御家人を任命

(a  文永         )の役
元・高麗軍(約3万人)が壱岐・対馬を攻撃し、博多湾に上陸
元軍の集団戦法や火器「てつはう」に日本軍は苦戦
結果:元軍撤退(暴風雨?)
再来への準備
異国警固番役を強化(1275)・長門警固番役を設備                    
(b  石塁(せきるい)          )を博多湾沿岸に構築(1276)
元が南朝を滅ぼす(1279)

 (c  弘安(こうあん)    )の役
東路軍(モンゴル帝国・高麗人・約4万人)・江南軍(南宋人中心、約10万人)
結果:暴風雨により元軍撤退

征服失敗の原因
九州地方の武士の奮戦
高麗・南宋の人々の抵抗、指揮系統の混乱
蒙古襲来の影響
幕府の統治が拡大
「本所一円地」の兵糧米の徴収権と武士(非御家人)の動員権            
貴族や寺社の一元的支配地
(d 鎮西探題    )の設置(1239):北条氏一門を任命
恩賞不足による御家人窮乏化が進む
神国思想の高まりが起こる

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