奈良・明日香・歴史散歩

東名高速から四日市JCTで大阪方面東名阪自動車道に乗りますが、このあたりの道案内はかなり難しいのです。とにかく亀山を目指して進みます。次に伊賀を目指してひたすら進みます。松尾芭蕉の故郷・徳川家康の伊賀越え・織田信長の伊賀攻め・伊賀忍者のことを考えながら伊賀上野を通り過ぎます。途中高嶺パーキングで奈良盆地を一望して、峠を下り卑弥呼の墓と言われている古墳を目指します。この古墳は、箸墓古墳と言って、纏向(まきむき)遺跡郡が邪馬台国ではないかという説に従うと卑弥呼の古墳ということになります。卑弥呼が亡くなったのは248年ごろ、箸墓古墳がつくられたのは、西暦240年〜260年頃で、しかも女性を祀っているので、卑弥呼の墓の可能性は高いと思われます。

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卑弥呼の墓? ー 箸墓(はしはか)古墳

箸墓古墳は、約1800年もの間この地にたたずんでいる。

とにかく、ここに卑弥呼が眠っていると思うとそりゃもう感動の嵐ですね。しばらく古墳を眺めていると一筋の光が…。卑弥呼が光となって降臨してきました。とても感動的だった!邪馬台国には、北九州説として吉野ヶ里遺跡が、畿内説として纏向(まきむき)遺跡郡があります。いずれにしろ、時々古代のロマンに思いを馳せるのもいいですよ。

石舞台古墳

箸墓古墳を離れて、大神神社を通り過ぎて明日香へ。次に目指すのは、石舞台古墳です。諸説ありますが、蘇我馬子の墓と言われています。石が剥き出しになっていますが、恨みがあった誰かが取り除いたか、風雨で流れたかということです。強力な権力をもっていた蘇我氏は、入鹿も蝦夷も滅びたように、恨みを持つものは多かったように思います。

明日香へ

この案内板には、石舞台の作り方が書いてあります。

キトラ古墳

キトラ古墳は、7世紀〜8世紀初頭にかけて造られ、四神、十二支、天文図・日月の壁画で有名です。四神は、北に玄武、南に朱雀、東に青龍、西に白虎が死者の魂を守っていてるのです。カッコイイですよね。

キトラ古墳

出典:地層科学研究所

高松塚古墳

キトラ古墳を見た後は、高松塚古墳へ。キトラ古墳と高松塚古墳は、当時の人々の姿を思い測ることができます。そんなところが好きなですね。 古(いにしえ)に思いを馳せる。実際に行ってみると感動が増します。

高松塚古墳

高松塚古墳の石室内部

高松塚古墳には、壁画館があって発見当時のレプリカを見ることができます。回廊になっていてあの有名な女官の壁画もみることができます。

天武・持統天皇領古墳と文武天皇

 天智天皇と天武天皇は、兄と弟の関係です。額田王は女流歌人としてとても有名でした。額田王は初め大海人皇子(天武天皇)と結婚していましたが、後に天智天皇と結婚します。天智天皇と結婚した後に、春になって宮中の年中行事の時に詠まれた額田王と天武天皇が詠んだ歌があります。その和歌が読まれた場面に天智天皇がいたことを考えると、余興であると考えることもできますが、天武天皇も額田王も人間らしいし、二人の関係がなんとも微笑ましいと感じられます。
 額田王が「あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る」と詠むと天武天皇が「紫草の にほへる妹を 憎くあらば 人妻ゆゑに われ恋ひひめやも」と詠みました。もともと天武天皇と額田王は夫婦でしたので、そういう心の在りどころもあるのかも知れません。
 上の和歌を訳すと「紫草の生えた野を行き、標野を行きながら見張りが見やしないか、いや、見てしまうでしょう。あなたが、私に袖を振るのを。」それに対して、天武天皇は、「あの紫草のように匂い立つような美しいあなたを憎いと思うならば、人妻であるのに私が風に袖を振るほど、恋焦がれたりするものでしょうか、古代に歌われた恋愛の歌のやりとりに思わず心が温まります。こういうやりとりは余裕があって とても素敵ですね。 

天武天皇と持統天皇の子どもである文武天皇の古墳は、高松塚古墳の裏にあります。また、天武持統領の近くでもあるのです。文武天皇の治世には、701年の大宝律令が行われたことで有名です。

飛鳥寺

飛鳥寺は、蘇我馬子が作った日本最古の寺と言われています。その中にある鞍作止利につくられた飛鳥大仏も日本最古の仏像です。近くには、大化の改新のきっかけとなった乙巳の変が起こった飛鳥板蓋宮や蘇我氏の邸宅のあった甘樫丘が中大兄皇子や中臣鎌足も権力に対して恐怖もあったと思います。まともに戦ったら滅ぼされるかもしれないし、談山神社で秘密裏に綿密な計画を立て、乙巳の変で蘇我入鹿を暗殺しました。

飛鳥寺

乙巳の変で暗殺された蘇我入鹿の首が落ちた場所には入鹿の首塚がひっそりと立っている。

持統天皇の藤原京

現在の藤原京は、写真のような柱の後が作られています。これらは天皇が執務を執った大極殿の南門と朝堂院の東西南の各門の礎石と柱です。藤原京は、天武天皇の事業を引き継いだ持統天皇・文武天皇・元明天皇の三代・16年の間に律令を整えていきました。

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